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前傾姿勢が直らない [乗馬]

ライブラリ - 11093.jpgカカロット

19日、関東地方の天気は穏やかだったけれど、めざす乗馬クラブ(月に1,2回通っている)はかなり遠い。
そこまでのバス、電車の中で、<なんでこんなにはるばる時間とお金をかけ、わざわざ怖い思いをしに行かなくちゃならないんだろ?>
とか、
<きっぱりとどこかで乗馬を止める気持ちにならないかな・・>などと、心の中でずっと愚痴を言い続けている私。
正月にひいた風邪のせいでまだ体力が落ちているのか今ひとつ気力が出ない。

最寄りの駅に到着し、送迎車を待っていたら、後から来た女の人が、足首のストレッチなどしている。もしかしてこの人も乗馬クラブかな、と思っていたら、やはりそうだった。

今日は広い馬場を4人で部班レッスン。指導員は私にとって初めての人だった。にこにこしてやさしそうな女の人。
馬はカカロット。左手前の駈歩がでない馬だ。何回か乗ったことがある馬だけれど、今日は体調もぱっとせず最初から気力もなかったせいか、乗っていても身体がなかなかしっくりしない。

私の前傾姿勢。これは自分で鏡を見るとすごく良くわかる。どの指導員からも同じ注意を受ける。私も気をつけているつもり(?)だし、家でも時々鏡を横目で見ながら身体を伸ばしたりして研究(?)もする。・・・けれど、絶対に、直らないのである。
死ぬまで直らないだろう。
まだ若くて時間がたっぷりあればいくらでも改善できるだろうけれど、もうあまり時間がない場合はどうする?
すっかり固まってしまった身体の芯を直すというのは不可能そうだ。

いつも同じ注意を受けるというのはかなりつらい。言われる前からわかっている言葉。「もっとお腹を前に出すように意識して、胸を開いて、頭は肩の真上、視線は前方、腰を引かない」
これが・・・こんなやさしい日本語で現される姿勢が、馬上ではできない。
たまにできることもあり、「あ、今いい感じですよ」と言われる。
でも続かない。

この日のカカロットは、最初にきちんとムチも入れて合図したせいで、元気よく速歩。真面目に走ってるな〜という感じ。
ある乗馬のHPで、なめらかな軽速歩をするためには立ち乗りをすると良い、とあり、それを試してみた。鐙に立ったまま乗るのは、私にはかなり楽な姿勢で気持ちがいい。

指導員が見ていて、「今のツーポイントはいいですよ。でも、軽速歩で立つときは同じ角度ではなく、身体をもっと後ろに(真っ直ぐに)するようにして下さい。」
ハイ、その簡単なこと、ができないんです、私。
軽速歩ですでに身体を前に倒し気味であるから、駈歩は言わずもがな。腰を張るということがまったくできない。
軽い前掲姿勢の軽速歩は馬の背中には負担が少なく、馬は走りやすいのだそうだ。ただし前に持っていかれやすい・・ということだろうか?

いい加減軽速歩をやって次は駈歩。右手前しか出ないカカロットに合わせて全頭右回りの駈歩をした。カカロットもよく走る。スピードもちゃんと出ている。でも体調のよくない私は身体がついていけない感じがあって少し怖い。
そう言えば前回、隅角でふくらみすぎてしまうカカロットだった。中央線を越えた辺りで早めに右に曲がれの合図をしたら、スムーズに行った。
でも本当に疲れてしまい、一鞍で止めようかと思った。

ここは30分が一鞍。30分と言っても運動量が多いからこれで十分という気がするけれど、せっかく遠くまで来たのだからと、30分の休憩を入れて二鞍乗るようにしている。
二鞍めは人も馬も身体がほぐれていて、乗りやすいという利点もある。
軽速歩をしていて、たまにしっくりくることがある。そういうときは馬がハミをしっかり受けているときらしい。
「今、馬がハミを受けていたのに、前傾して手綱を伸ばしてしまってはだめですよ。せっかくハミを受けていたのにもったいないですよ〜。」と言われた。
「ハミを受けているのか、ただ手綱を引っ張られているのか、よくわからないんです。」と私。
手綱の張りがどんなものなのか、本当によくわからない。
手綱にある重さがかかりビュ〜ンビュ〜ンと馬がスムーズに前に進んでいるとき、「そうです」と言われることもあり、それは、私の判断ではこのままいったら、馬が走りすぎてしまうのではないか、と不安になる感じのときだ。

何やらわからずに乗っているからますます疲れ、「ちょっと休憩」と言って真ん中に入って停止していたら、カカロットがベロ〜んと長い舌を出している。
「どうして舌を出しているんですか?」と聞いたら、答えは、「ヤッテラレネ〜ヨ、という意味でしょう。」
えっ、そうなのカカロット!こりゃのんびり休んでいてはよくないなあ〜と、また馬を歩かせながら時計を見たら、あと5分、もうすぐ終わりだ、と思ったら少し元気が出てまた駈歩した。2回とも長く感じた30分だった。

カカロットは今日は終わりだというのでブラッシングした。背中に湿疹がある。マッサージもした。おとなしくされるがままのカカロットだった。
初めてカカロットに乗ったとき、超ゆっくり駈歩をして見せて驚かされた。他にもニューヨーカーというスロー駈歩の名人(馬)がいる。
よくそんなにゆっくり走れるな〜と感心するほどで、これならどんな初心者でも広い馬場を安心して走ることができるだろう、と思う。
でも「速くしなさいよ」と馬に言えば、ぱっと早変わり。
実によく調教されてる馬たちです。
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風邪ひきの正月 [diary]

ライブラリ - 11070.jpg
長野の山中も年末から本格的に雪が降り、毎朝ベランダの手すりに数センチ〜10センチ雪が積もっています。毎日雪かきをしていますがそのままにしてある場所はすでに50センチ位になっています。

正月早々、年末にひいた風邪をぶり返してしまい、さらに運の悪いことに、車のバッテリーが上がってしまい、灯油も底をつきそう、と、最悪の事態になりました。
幸い、一週間分くらい蓄えがありました。
それから、年末につくったあずきが鍋いっぱい、甘酒もたっぷり、ポテトサラダも3日分くらい作ってあったし、何よりも、正月というのはお雑煮を食べていればいいので気楽なものです。
残念なことにふらふらしながら作ったお雑煮は、風邪をひいていては何の風味もなく、やはり風邪にはお粥だな〜と思った次第。
あずきと甘酒は熱があってもほんの少しならまあまあ美味しく食べられました。

それにしてもあずきは大鍋にいっぱいも作ってしまった・・。
なんせこの年になるまで小豆をたいたことがなかったので、親戚からもらった小豆の袋を全部一度に煮てしまいました。

子供の頃は、お汁粉は大嫌い、人が食べているのも気持ち悪いくらいで、小豆というものに縁がなく、アンパン、大福、あんみつ、羊羹・・・これらはもう敵のようなものでした。
不思議なことに20才を過ぎてから少しずつあんこが食べられるようになりました。でもお汁粉を美味しいと思うようになったのはかなり最近です。

最近はネットを見れば料理法が出ているのでとても便利。小豆もなんなく炊けました。
唯一の失敗は小豆の量、私にはどういうわけか料理で出てくる何グラムという部分をいい加減にとばし読みする傾向があり(目分量が好きなのです)、豆があれほど膨れるとは思っていなくて、中くらいの鍋にあふれた豆を見て大急ぎで大鍋に移しました。
そう言えば、実家の台所には大鍋がたくさんあって、なんで大鍋がこんなにたくさんあるんだ、と思ったものですが、昔は大勢で食卓を囲み、料理もわんさか作るためには、大鍋がたくさん必要だったのでしょう。
もう一つ大変だったのはアク取り、アクはひっきりなしに浮かんで来るので、風邪気味だというのに台所の鍋から30分も離れられませんでした。その後は砂糖を分けて入れるため、入れては10分待ち、入れては10分待ち、を何度も繰り返し、結局2時間近く小豆鍋の側を離れられませんでした。
まあ、その甲斐あって美味しい小豆が炊きあがりましたが・・。

風邪を引いていても入り口付近とベランダの雪は毎日少しは片付けないと大変なことになるので、昼間のあたたかい時に少しだけ雪かきをしました。

この雪かきというのはものすごく汗をかきます。5分間で汗びっしょりになり、つまり相当エネルギーを消耗している、ということで、風邪には良くありません。
家の外に出るときに寒くないように重ね着をするのがあだになり、ほんのちょっと雪かきして家に入ると、汗と雪で着ている物がずぶ濡れです。
そのまま脱いだ物をストーヴの側に干さなければならず、コート、上着、マフラー、手袋、帽子、果てはブーツまで・・そういう物が雑然として家の中はぐちゃぐちゃです。

乾燥室があるといいなと思いますが、そうなればまた燃料を使うことになり、エネルギーを無駄遣いしぎることになる。
家がグチャグチャでも良しとしなければ・・。(TVや映画に出てくる家はいつも整然として不思議だけど、部屋数が違うんだな、きっと・・)

それにしても風邪ひきの3日間は、運動はおろか、本も読めず、好きな音楽も聴く気になれず・・・すごく時間をロスした感じでした。

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今年もよろしくお願いします [乗馬]

IMGP0044.jpg往年の名馬3頭勢揃い
昨年一番お世話になったお馬さんたちです。
左からスノーフレーク、リバティ、プリン。スノーは今年30歳、リバティが29歳、プリンが25歳(?)になります。飯綱乗馬クラブの最長老たち。

IMGP0041.jpg雪の上でゴロゴロするのはみんな大好き

IMGP0079.jpgスノーとリバティはとても仲良し

IMGP0063.jpg「ぼくの顔なんか変じゃない?」プリン

IMGP0058.jpgリバティと私

昨年も馬にはずいぶん癒されました。「牛馬のごとく働く」という例えがあるように、牛や馬や豚や鶏などの家畜動物は「種」そのものが人に隷属しています。こういう絶対的隷属状態というものを想像することは難しいです。家畜にもうれしい、悲しい、つらい、不安、という感情があり、そういう感情を持った生き物が人に「隷属」するというのは何と不条理なことか。

それでも乗用馬は幸せです。身体をブラッシングしてもらったり、ニンジン、リンゴなどおやつをもらえたりするし、年をとっても大事にされています。上手な人が乗っているとき馬がとても楽しそうに見えます。
馬は、放牧しても、一瞬は走り回るけれどその後はボーッと立ったまま、ということも多いし、人を乗せて頭を働かせて走るというのは馬にとっても楽しいことかもしれないですね。

今年も馬と楽しく過ごせる時間がたくさんあるといいです。



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2011年、フルートレッスン納め〜ケーラー2巻終了 [音楽]

12月16日が今年のレッスンの終了日でした。
この日は朝から身体的作業をやって、いろんなことで時間がなくなり、バス停まで走りに走ってかろうじて間に合ったもののどっと疲れが出て、といういつもの悪いパターン・・。
おまけに重い物を持ったりねじを回したりしたため、指が硬直してしまっていて、電車の中で指をマッサージしたり、ストレッチしたりして、けっこうなストレスを感じながらぎりぎり10分前にスタジオに到着しました。

ケーラー2巻の最後の曲、12番は指使いはそれほど難しくないし、前回「大体はいい」と言われていたので多少はリラックスして30分間の個人練習。
さて、先生の前で一音吹いたとたん、ちょっと楽器を見せてごらん、と先生が私の楽器を試し吹きし「これはダメだ。コルクが乾燥してしまっている」と。
「コルクが乾燥するとどういうことがおきますか?」と初歩的な質問。
「音に芯がなくなる」のだそうです。そう言えばこの一週間、音がボワ〜ッとした響きで調子悪いな、とは思っていたのですが。
湿気が多くても乾燥していてもフルートには良くない。そのくらい自分で気がつくようにならないとね・・。

ソノリテでは力みすぎないように注意し、残りの10分で12番の仕上げ。
これは本番だと思って集中し自分の音を聴きながらていねいに吹いていく。前回もつれた難しい指使いのところもさらりと無事に通りぬけた(良かった〜)、前半ミスなし、2ページ目はさらに気持ちを静め集中し、最後まで吹き終えました。

パチ、パチ、パチ、と先生から拍手。「うまいね。ミスが全然なかった。それだけ吹ければ問題ない」とお褒めの言葉をもらいました。
ミスがない、ってものすごく当たり前のことだけれど、これは本当に難しい。そこがプロとの違い?
練習のときはミスしないでやれたんだけど・・と思うこともしばしば。(練習のときできたなんてのは何の意味もないことです)
日本フルート界の草分けである吉田雅夫先生(この方が小泉先生の師です)の教本にも「譜読みは絶対にまちがえてはいけません」と書いてあるくらい。

吉田雅夫教本から抜粋

<演奏における一般的注意>
(1)音符の読み違いは絶対に許されません。
たとえば、臨時記号を落として吹いたり、調子をま違えることは演奏家にとって恥と心得るべきことです。
(2)休符を正確に休むことを守ってください。
休符は楽曲を構成する主要な要素ですからいい加減に休んではいけません。
(3)速度記号を厳守してください。
速度を変えることはその曲の性格まで変えてしまいます。ただし、練習の際には、早いテンポの曲は、初めゆっくり練習し、だんだん指定のテンポに近づけて行くことは当然です。いいかげんなテンポで練習することは有害です。
(4)発想記号(表情記号、強弱記号など)をよく注意して、忠実に守ってください。
・・・・・

と続いています。
よく考えたら(考えるまでもないけれど)これって、私がいつも小泉先生から注意されていることです。小泉先生は吉田雅夫大先生の弟子であるので、当然です。


それにしても、演奏における注意の一番目に、「音符の読み違いは絶対に許されません」とあるのにはまいります。普通は、こういう当たり前のこと、「計算はまちがえてはいけない」「漢字はまちがえてはいけない」などとことさら言わないものです。
楽譜を正確に読み、正確に演奏することを、最新の注意を払ってちゃんとやれ、ということでしょう。絶対的な命令です。

2011年のレッスン最終日、ケーラー2巻のちょうど最後の曲がうまくいって、これで気を良くして新年を迎えられそうです。

休み中は次の課題「アンダーソンの21の小品集」をさらうよう言われました。楽譜を買ってみて、またごちゃごちゃした譜面を見てガッカリ。
「なんだかごちゃごちゃした曲ばかりですね」と言うと「そんなことはない、きれいな曲が多いよ」とのことでした。

ひたすら練習あるのみ。どんな素人だってそれなりに、練習すればするだけ、結果はついてくるものだ、ということが最近少しわかってきました。

(コルクはその日の帰りに先生がダグに電話してすぐに直してもらい、ぱっと響きが変わりました。12月中にすべてすっきり終わり、疲れたけれど満足の日でした。)

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馬の気持ち〜馬のプライド〜 [乗馬]

IMGP0024.jpg木曽馬ユウキ
IMGP0027.jpg
見ているととても愛らしい木曽馬のユウキ。

今日は屋内馬場でユウキに乗った。ブラットン(Kさんが騎乗)という馬と一緒で、ちょっと早めに馬場に出たブラットンは早くも馬場の中を走り回る体勢になっている。
遅れて出たユウキと私はじゃまにならないように常歩を始め、速歩にしたけれど、ブラットンの動きが気になって思うように動けない。
ブラットンは蹄跡を駈歩で、ところどころ巻き乗りをしたり、輪乗りをしたり、手前を変え、と、ガンガン走っている。そうなるとブラットンに近づかないようにと、完全に<よけるモード>になってしまう。早めに避けるために、ブラットンへの指示に耳を傾けてしまう。
私がブラットンを避けようとするのと同じように、ユウキもブラットンを避けようとする。
馬と人間の気持ちが増幅して、私とユウキはただちょこまかと馬場の真ん中あたりをのろのろ走っているだけ。もう何を練習しているのかわからない。
最初の10分で「ああ、今日はダメだな」とわかる。スタートがのびのびできないときは、後からうまくもっていくことは、私にはかなり難しい。
走り回るブラットンをよけるストレスを人も馬も感じている。「重かったらムチ!」と声が飛ぶけれど、私としてはもうすでにかなり蹴飛ばしたりムチを入れたりしている。

<馬とケンカにならないように乗ること>という事が、いつも頭の中にあるのだけれど、もうとっくにケンカになっている・・・と感じている。
だから、今日はもうこれ以上はダメ、早く終わろうとあきらめ、ブラットンをよけながらなんとなしの速歩を続けているしかない。情けない。ユウキもかなりイライラしている。
右へ曲がろうとすると、2回ほど反対にグイと曲げられた。

そのうちブラットンに乗っていたKさんが、もう上がります、と言って常歩になった。ブラットンの動きが静まったので、やっと少しずつユウキが走り始めた。
そ〜してブラットンが場外に出て視界から消え・・

やれやれ、すっきりした〜!と私が思い、ユウキものびのびして速歩もスピードが上がった。
蹄跡を1〜2周して終わるつもりで、偶角の前でスピードを落としたら、ユウキの目がちらっと私を見た。(「ここで駈歩するんでしょ。」と言っている。)
そっか〜、とあわてて、合図を軽く送ったらすっと駈歩になった。一周だけだったけれど・・。
その後は常歩で少しだけ右に行かせる練習。「左じゃないよ、右だよ」と何度かやってレッスンを終えた。

洗い場でブラットンの一つ向こうにユウキを繋いだ。Kさんが「あれ、この子たち仲悪いね?お互いにガンとばしているよ」と。確かに、間にいたカントリーを飛び越して、二頭の間にチカッと火花が・・。
やっぱり馬場で走っているときから馬同士も面白くなかったんだな〜。でもブラットンはじゃまされたわけじゃないんだからユウキを睨むことないんでは?

ユウキには悪いことをした。乗り手が自信がないと、馬のプライドを傷つけてしまうような気がする。
ごめんな、ユウキ・・次はうまい人に乗ってもらって大きな馬を見返してやってね。

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ユウキはこの間テレビ出演もしました。(テレビ信州のゆうがたゲットという番組です)
長野版なので私は見られなくて残念でした。
ユウキに乗っているのは飯綱乗馬クラブのキタムラ指導員です。

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今年最後の紅葉 [diary]

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もうとっくに紅葉も終わっているような気がしていたら、散歩途中、すっかり葉を落とし灰色の幹だけの木も多い中、これが最後とばかりの見事な紅葉を見せていた木々です。

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はっとするほど濃い紅色、

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下に落ちた葉っぱもまだ輝くような赤い色、う〜ん、自然界はすごいものだな、としばし見とれました。

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家の前の黄葉樹、

後ろに建物が見えてちょっと残念ですが、毎年目を楽しませてくれます。
黄葉というのは光の当たり加減で、まるで、黄金のように輝く一瞬があります。翌日もう一度見ると、何でもない黄色みを帯びた茶色の葉っぱになっていたりして・・。
この写真はまだまだ、黄金の輝きからはほど遠いのですが、なかなか写真を撮るタイミングがなく、これで我慢です。

もらった黄金が次の日見たらただの枯れ葉だったと、宮沢賢治の童話にも出てくるけれど、あれは、実際の体験に基づいていたのだな、と勝手に想像しています。
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フルート発表会 [音楽]

11月23日 『ダ・カーポ』クラシックコース第15回発表会
スペース Do にて

今年も発表会の参加はパスしましたが、他の人の演奏を聴きにいきました。
いつもエチュードを練習するのにいっぱいいっぱいですが、発表会ではいろいろ刺激を受けました。
練習に追われていると、音楽を聴く時間が逆に減っています。今年はコンサートに行く回数もめっきり減ったし、家でゆっくり音楽を聴くという時間さえ少なくなりました。

さて小泉フルートクラスのお弟子さんたちの演奏を聴いて、自分の練習について深〜く反省しています。一つのエチュードが終わると自動的にまたすぐ次のエチュードへと向かうだけで、客観的に自分の音や練習法を見直すことがなかなかできません。
忙しい中、時間をやりくりして練習している人たちばかりなのに、それぞれずいぶんと腕をあげ、響きが良くなっていることに感銘を受けました。

特に印象的だったのはKさんのシュテックメスト《「歌の翼」による幻想曲》
まあ、簡単と言えば簡単な曲ですが、それだけに、瑕のない明るく澄み切った豊かな音が必要だし、朗々と歌えないことには「歌の翼」にはなりません。
Kさんの音は本当に良い音でした。完璧なヴィブラート、そして歌っている!・・会場の雰囲気が一変しましたね。Kさんが吹いているヨハネス・ハンミッヒはかなりの名器だと思いました。
彼は現在医学部の4年生(?)なのでかなり忙しいはず。アマチュアオーケストラにも参加しているようだし。う〜ん、時間がないのは全く言い訳にはなりそうにない。

ボザの《イマージュ》をやったAさんの演奏も非常に印象的でした。Kさんの後に、まったく別の響きのフルート曲(こちらの楽器はヘインズの2008年小泉浩モデル)
音色はヘインズ独特の良さがあったし、テクニックも抜群で安定していて、プロの演奏を聴いているようでしたが、本人はKさんの音色を聴いて反省した、と言っていました。「この楽器はヨハネス・ハンミッヒに負けない音が出るはず」と・・。

とにかく良い音色を出せるように練習しなければダメなのです。
音色が悪いまま吹いても指の練習にもならない。
大体において、ソノリテをやっている間、汗をかきかき「はやく、終わらないかな〜」など考えているようじゃ、話になりません。
音楽と向き合う姿勢の違い、ということでしょう。自分の練習を振り返り、これまでのフルートとの向き合い方を深く反省しました。
今日から心をいれかえ、雑念を振り払い、真面目にやろうと思います。

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カントリーボーイで落馬 〜油断大敵〜 [乗馬]

IMGP0229.jpgカントリーボーイ

11月15日、カントリーボーイで見事、落馬。
駈歩で輪乗りをしていて急に馬がよれてあっという間に落ちていた。
これは落ちるな〜とわかるときは落ち方にも気をつけるのだけれど、自覚なしに落ちたため少し尾てい骨を打った。地面にころがって下からカントリーボーイの脚と顔を眺め、踏まれないように急いで起き上がった。
あいにく、馬場はややぬかるみで、背中からお尻にかけて泥まみれ。(今日は落馬したくなかった・・)

カントリーボーイは初めて飯綱の乗馬クラブで乗った馬なので愛着がある。
乗馬歴30年というSさんが、「乗馬用の馬はちょっとおバカで素直な子がいい」と言うので、「カントリーボーイはどうですか?」と聞いてみた。
「カントリーはちょっとおバカさん。神経の図太さがあって何事があっても簡単にめげない。私は好きですね。」とのこと。
私もまったく同じように思っていたのでうれしかった。
初心者はみなカントリーで練習するのだから馬だって神経が太くなければやっていられない。

カントリーは馬裝のときに自分の腹を咬もうとしたり、裏堀のとき後肢をうまく静止できず、勢いよく蹴り上げたりすることがある。でも動作の前に「○○するよ」と告げてから作業をすればまったく問題はない。

たまに乗車拒否をすることがある。手綱を馬の首にかけ、踏み台を置いて、いざ乗ろうとすると、カントリーが逃げる。これが何度か続き、左手に馬の手綱、右手に踏み台を持ってウロウロしたことがあった。
そして、私がしょんぼりした頃を見計らって、カントリーは突然静止しおとなしく乗せてくれる。
騎乗されるのを嫌がるのは何となく馬の気持ちになってみればわからないでもないけれど、突然「やっぱ、乗ってもいいよ〜」モードになるのはどういうこと・・??

騎乗しているうちに馬場の真ん中で固まってしまうこともあった。下手な乗り手に手綱を引っ張られ背中をドシドシ尻で打ちつけられたりしていたら、カントリーだってすっかりイヤになるにちがいない。
こうなると、動かそうと必死で横腹を蹴っても、固まった馬は動かない。
そうして、不思議なことに、こういうときもまた、私が<カントリー、今日はもうダメだね〜、あきらめた。>と言った瞬間に、カントリーは動き出すのである。
それまでどこかに身体のどこかに入っていた力が抜けたんじゃない?とSさん。
きっとそうなんでしょう。でも身体の力を抜くだけじゃダメで、やはり「もう終わりにしよう」と思わないとカントリーには通じないような気もする。

あきらめてションボリしたとたん動き出すカントリーボーイ・・優しいね。
それにしてもあんな風に簡単に落馬するようでは困る。変な風に手綱を引っ張ったのかな?

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初心者フルートレッスン(13)〜「基本姿勢」〜 [音楽]

<基本姿勢>
背筋を伸ばし、胸を開き、肩を下げる

視線は、下を向かず前方遠くを見る。

深く、静かな呼吸。

手の動きはできるだけ小さくバタバタさせない。

重心を定め、むやみに身体を動かさない。

正確なリズムを作る。

音を前へ、前へと出して行く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上、フルートを吹くときの基本姿勢です。
が、これは驚いたことに、乗馬の基本姿勢と全く同じです。
乗馬の場合、前へ前へと出していくのは《音》ではなく《馬》ですが。。
私は、乗馬でもフルートでもいつも同じ注意を受けているのですが、その割にはどちらも一向に進歩がありません。

乗馬とフルートの「基本姿勢」がなぜこれほど同じなのか・・?
よく考えると、音楽でもスポーツでも、身体を使って表現するものはみな『基本』は同じということなのかもしれません。

フルートではタンギングするのかスラーなのかはすごく重要で、間違えると厳しく注意されます。初心者である私はそういう所がいいかげんになってしまうのですが、聞いておられる先生にとってはものすごく気持ち悪く感じられるのかもしれません。

私も、たとえば、フィギュアースケートを見ていて、演技が一音一音にしっかり乗っていないと、気持悪くすっきりしません。あんな風な感じ?
自分が演奏するときは平気でいい加減にやってしまうくせに、自分が見たり聞いたりする側に回ると、すご〜く気になってしまいます。

自分が出す音のおかしさはなかなか気がつかないもので、だからレッスンが必要なんだな〜と思います。
楽譜に忠実に吹くというのはとても難しく、それがまた面白さでもあるわけです。

今回はレッスンの間があいていたので、ケーラー2巻10番は二回で合格しました。やはり高音で速いフレーズはうまくいかず、先生に「指がいっぱいいっぱいだねぇ。」と言われてしまいました。
訓練が足りません。もっと若ければ指なども柔軟で自由に動くのでしょうが。

だんだん一月に2曲というペースが定着してきました。

柔軟性と体力(持久力)と俊敏な反射神経、がほしいです。




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動物とのコミュニケーション [雑感]

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「悲しみの声が聞こえる」ニッチ・マッケイ著

馬が好きな人なら誰でも、自分もニッチ・マッケイみたいになりたいと思うのじゃないだろうか。
馬と会話ができる、それも普通の人よりずっとずっと深い会話ができる・・それがニッチ・マッケイ。馬だけではなく、どんな動物とも気持ちを集中させると会話ができるニッチは、動物好きにはあこがれの存在だ。

動物の気持ちを読む能力というのは誰もが少しずつは持っている。
愛犬が今何をしたいのか、愛馬が何を要求しているのか、動物と関わっていると自然にいろいろわかるようになる。
ニッチはその理解力が並外れて優れている人なのだ。そういうのを『天賦の才』と呼ぶのだろう。

最近、そういう『天賦の才』のない人間でも、感覚をとぎすまし一生懸命に動物の声に耳を傾けようとすると、今までぼんやりと感じていたことがもっとはっきり感じられるようになるのではないかという気がしている。
「動物の気持ちははっきりとはわからないもの」と、簡単に決めてしまったらそれで終わり。
あきらめずに、もっと良く聞こうとするならば、動物の声も聞こえてきて会話ができるような気がする。

この間、引退した競馬馬とかなり長く話しをした。
「最近はどう?」「ここにはもう慣れた?」という挨拶から始まり、「競馬時代はつらかったね、特に障害競馬は苦しかったね・・」とか、「もうあんなに無理して走らなくてもいいんだよ、ゆっくり楽しく走ればいいんだよ・・」などなど。
しばらくすると、馬は耳を傾けるような仕草、時々あいづちをうつように頭をコクンコクンと下げる。そして、鼻面を伸ばしてきて私の手を触っていた。
なんか話が通じたように感じた。

こういうのは、興味の無い人には「ただの思い込み」と片付けられる。
馬と話をしている気になっているだけ。馬がうなずくように頭を上下させたのは何か食べ物でも欲しかったからだろう・・と。これが一般的な受け止め方。
たまに、自分と同じように、動物とは一生懸命話そうとすればより深い会話ができる、と思う人がいたらそれはすごく嬉しい。

ニッチ・マッケイの本は私が夢見る世界が書かれている。

猫というのは身近にいながらわかりにくい所がある。
猫のジッと見つめる神秘的な目からは、なかなか感情を読み取れない。猫にはどこか超然としたところがある。人のために働いたりしないし、あまり鳴き声も立てない。
一生懸命に話しかけてもはかばかしい返答が返って来ない。
猫でもわりとよく鳴く猫はちょっとはちがう。何かにつけて声を出す猫とは、会話にも張り合いが出る。でもいくら長々と話をしても、何を言っているのかサッパリ伝わってこないと、ちゃんと日本語で話してくれたらな〜、とため息が出る。

小鳥(野鳥)はよくさえずるから、会話しやすい。できるだけ小鳥の鳴き声を真似して話しかけると返事が返ってくる感じ。でたらめに鳴き真似せずに、言いたいことを頭に思いうかべて(「こんにちは」「気持ちのいい日ですね」「「何してるの?」とか)鳴き真似すると、会話が続くようである。
散歩途中に電線に留まったシジュウカラに、感情をこめて一生懸命口笛を吹くと、シジュウカラもどんどんさえずる。何度も何度も繰り返していると他の鳥もやってきて見物している。
だけど5分以上も口笛を吹くとすっかり疲れてしまい(鳥たちはさえずるのが得意なのだからかなうはずない)、すごすごとその場を立ち去った。

犬は目で物を言い、身体全体を使って感情を表す。人間にとてもわかりやすい表現方法を持っている。
馬は犬のようには感情を表さないように見えるが、それは、人が犬に対するように馬に向き合わないということもあると思う。
馬の大きな眼、長い首、息づかい、大きな耳・・はとても雄弁だと思う。ただしこちらが無関心ならば相手から積極的な感情は伝わって来ない。
「馬は道具だ」と人が思っているならば、「道具」としての役割を果たすだけである。そういう存在でいる所が不思議である。

実際、普段から人によく話しかけられている馬とあまり話しかけられていない馬は、顔の表情も微妙に違う。
話しかけられたことがない馬に話しかけると、ちょっとおどろいたような顔をする。人と馬との間にあるベールが一瞬取り払われるのだけれど、すぐに馬はまたベールの向こうに行ってしまう。
毎日根気よく会話を試みているうちにだんだんと人と話す馬になってくる。

雑食である人と動物の関係にはややこしいものがある。
人は、食肉になる家畜と会話をすることを自然に避けるようになる。そうしなければどうして牛や豚や鶏の肉を食べたりできるだろう?
どんなに牛の子供が可愛くても名前をつけないのは、人と牛との間に一線を引くため。

目をつぶらなければならないことはあまりに多い。<何も見えない、何も聞こえない、感じない>ふりをしていなければ、スムーズに生きていけない。

最近 12 カ月間 - 1664.jpg
(猫同士のコミュニケーション)
両方とも雄なのでライバル意識が強く、食べ物を前にするとケンカになったりするけれど、寒いときは仲良くくっついて寝ている・・が、実は葛藤がある。茶トラは本当は右側に寝たいのです。


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