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アリス=紗良・オット ピアノリサイタル [音楽]

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6月12日(木)7: 00 〜 川口市リリア音楽ホール

< Program >

ベートーヴェン;ピアノ・ソナタ第17番二短調 [ テンペスト ]

J.S. バッハ;幻想曲とフーガ イ短調

J.S. バッハ=ブゾーニ;シャコンヌ

〜 休憩 〜

リスト:愛の夢より 第2番・第3番

リスト:パガニーニ大練習曲(全6曲)

(アンコール)

シューマン;第2番 ロマンス嬰ヘ長調

ショパン ;第14番 ワルツ 変ホ短調

久しぶりのピアノコンサート。
忙しくてコンサートに行く回数が最近減って来ており、それもフルートやオーケストラのコンサートが多いので、ピアノリサイタルとなると、何年ぶりかという感じだった。
何の予備知識もなく誘われて行ったコンサートだったが、アリス・紗良・オットのリサイタルは大変素晴らしく印象深いものとなった。

舞台にさっと現れたアリスはシンプルな赤のドレスで、すっとピアノの前に座り、ベートーヴェンを圧倒的な迫力で弾き始めた。ベートーヴェンはやはりすごい作曲家だなーと感動して聴いていたが、次にバッハを弾くと、やはりバッハの曲というのはとんでもなく凄い曲なのだった。

ピアノを弾いているアリスは、まるで「火の精」が踊っているように見えた。
長い腕、のびやかな姿勢(ピアノの鍵盤からの距離がすごく遠い)、音楽を聴きながら一流のバレエダンサーの踊りを見ているような感じがした。アルゲリッチとは違うがアルゲリッチと同じようなオーラを持っている。
左手の力強い響きは独特で、激しさと強さ、高音でのやさしい繊細さ、
ピアノを演奏する上で必要なものをすべて持っている感じ・・。

後半のリストは観客も少しリラックスして聴けて、いいプログラムだった。
コンサートの最後の、「リストのパガニーニ大練習曲の第3番ラ・カンパネラ」は感動の上にさらなる感動を加えた素晴らしさだった。


アリス=紗良・オットは、まだ25歳。
25歳にしてすでにとんでもない輝かしい音楽家としての履歴の持ち主。
これからどういう音楽家になっていくのかを考えるとため息が出てしまう。
「ブラボー」の声と大きな拍手に送られにこやかにさっそうと舞台を去る彼女の足元を見たら、裸足でした。(う〜ん、格好良すぎるんではないの!!)
 


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フルートレッスン(25) 〜 腹式呼吸その2〜 [音楽]

IMG_2369.JPG6月のシクラメンとフルート

そろそろガリボルディのグランドエチュードも終わりそうで最後の15番に取りかかっている。

前々回のレッスンで「腹式呼吸を忘れないように」と注意され、かなり意識するようにしているが、なぜ「胸式呼吸」はだめで「腹式呼吸」なのか・・先生に指摘されてやっとわかってきた感じ。

フルートなどの管楽器は息を使うのだからたっぷり息を吸うために腹式呼吸なんだろうと漠然と思っていたが、言葉で説明されるまでは、なぜ「腹式呼吸」でなければならないのか具体的に何もわかっていなかった。

フルートは歌とまったく同じで、お腹から息をださないと、豊かでたっぷりした音は出ない。
そして「胸式呼吸」の場合は上半身に力がはいるため、指にも力が入って固くなり、なめらかな運指ができない。また、上半身が固いため演奏と同時に身体がぎくしゃく動いて音が不安定になる。

と、言葉にしてみればこれだけのことを、理解するまで4年近くかかってしまった。教本を読んだだけではなかなか納得するところまではいかないものだ。
「今の吹き方は、こうなっているから、これこれの状態となる」ということをその場で言われないとダメ。
これがレッスンを受けるのと自己流で吹くのとの決定的な違い。

楽器屋さんにお勤めしている人が「フルートで曲を吹いてみたりもするけれど、どうもただそれだけで・・」と、それ以上面白みを感じないようだったので、
「Aさん、石の上にも3年、ですよ。3年間じっと練習に耐えてやっと楽しくなるんですよ。」と教えてあげた。
実際、『石の上にも3年』とはよく言ったものだ。

適当に(自己流で)曲が吹けても、どこか不満が残り、すぐに飽きてしまい長続きしない。
不思議なことに、ストレスを受けながらレッスンを続けていると、練習曲以外の曲を演奏したいという気はほとんど起きない。
練習曲の練習の面白さがわかってきて、他の曲をやってみたいなどと思わないのだ。そんな時間もないし・・。

「腹式呼吸」をフレーズの合間に素早く行うというのはかなり難しい。
私は、たくさん息が必要なとき、胸と腹の両方を使って呼吸するくせがあり、それについて先生に尋ねると、「『スーパーブレス』と言ってまれにそういう方法を使うこともあるが、それはダメ、やらないほうがいい。」と言い渡された。
また、頻繁にブレスしないために息を長くもたせる練習もしてみた。
あまりむだな息を使わず、ケチケチと必要な分だけの息を使うと長いフレーズもうまく吹ける。
この方法について質問したら、「それはだめ。息はたっぷり使わないと面白くない音になってしまう。そういう練習はしてはいけない。」と、またはっきり言われしまった。

まず試してみて、それからそのことについて先生に聞いてみる・・こういうことを繰り返していると、まだまだ知らないことが多いことに気付く。

さて、入門者のために書かれた『フルート教則本 / 吉田雅夫 著』を改めて読んだら、「呼吸法」についてはこう書かれている。

<フルートの演奏において、最も大切なのはよい唇の形(アンブシュール)と呼吸の方法です。・・・・
呼吸法は、少し上達すると一番大切な研究課題となってくるでしょうが、簡単に言えば、常に腹式呼吸で演奏するということです。この場合の腹は、側方、あるいは背の方で息を吸い込み、吸い込むときに、腹が前方にだけ出るのはいけないのです。私はこの方法を「側腹呼吸」と言っています。息を出すには、息を出しながら下腹を背中の方にひきつけるようにし、かつ筋骨を外にひろげるような気持ちで下腹に力を入れるのです。実際には、息を出しながら胸がへこまないように保ちます。専門的な言葉では「息の支え」が充分できなければならないのですが、この感じを会得するには、相当な修練を積む必要があります。>

わぁ〜| まだまだ修練が足りません!

小泉浩先生の『朝練 フルート毎日の基礎練習30分』には、腹式呼吸の練習法がわかりやすく書いてあるのだけれど、大体こういう練習はあまりに簡単なのでさっと通り過ぎてしまいやらなくなってしまう。
この間久しぶりに先生の前でやらされた。
結局、最初に習う「基本」が一番大切で一番難しいということになるようです・・。

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フルートレッスン(24) 〜 腹式呼吸 〜 [音楽]

(ガリボルディ グランドエチュード12番、13番)

エチュードを積み上げていくことでどんな曲にもアプローチできるようになると思うが、この積み上げには際限がない。
苦労して一山越えたと思っても、次に進むとまたこれが新たな山である。
エチュードはあらゆる技術を網羅していて、その曲ごとに必ずこちらの弱点を突いてくるような気がする。
エチュードの作者というのはすごい!

12番は苦しい曲で、まるで全速力で走っているような感じだった。
呼吸が苦しくなりなかなか一曲を吹き通せない。今までになかった感覚で、あまりの苦しさに「胸式呼吸」になっていたようだ。つまりアップアップ状態。

一回目のレッスンで、じっと私の様子を見ていた先生に、「胸で呼吸している。こういう曲はそんな風では苦しくて吹けない」「もう一回腹式呼吸をきちんとやり直しなさい」と言われた。

これまでそういうことを言われたことがなかったのに、なぜか12番はそうなっていた。

家で腹式呼吸を心がけて練習してみるとずっとスムーズになった。
難しいと感じたときほど落ち着いてきちんと「腹式呼吸」で練習しないとダメなものだと思った。
12番には、こちらの平常心を失わせるようなものがあった。譜読み、音域、速さ、ブレス・・などなど、練習者を苦しめるものがあった。

2回目のレッスンでやり直しはさせられたもの、なんとかおまけの合格。
(3週間がかり)

13番はそれに比べて簡単そうに思えたけれど、やはりそれなりに難しい所はあって、4月5日のレッスンでは、譜読みの間違いを指摘され、「ヴィブラートが全然かかっていない」と言われてしまった。
ヴィブラートがかかっていないというのは致命的で、やはり指使いばかりにまだ気を取られているためだろう。気を取られなくなってはじめて、自由にその曲が吹ける。つまり『歌える』ようになる。

本当は順番が逆で、指使いなどは後回しで、最初からヴィブラートをかけて練習しないとだめなのだが、「早く合格しよう」という浅知恵が失敗のもと。近道ってないものだ。

ところで、今日4月7日はマクサンス・ラリューのフルートCD発売日。
明日あたり届くのだろうか。どんな風だろうか。
すご〜く楽しみである。


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インバル = 都響 『マーラー / 交響曲第9番ニ長調』 [音楽]

2014年3月15日(土) 東京芸術劇場  2:00〜

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<新・マーラー・ツィクルス最終公演『マーラー / 交響曲第9番ニ長調』>

何年ぶりかにステージで拝見したインバル先生、全くお元気そうでした。
『マーラー交響曲第9番』は、生のオーケストラで聴くのは二回目。
(前回は、チョン・ミュンフン指揮 =東京フィル 2008年)
座席が2回のボックス席(5000円とはなんと安い!)で、演奏者の顔、インバル先生の指揮がとても良く見えました。マーラーの交響曲は管楽器のソロが多く、演奏者を目で追うだけでも忙しく面白いのですが、絶対にはずしてはいけない音を演奏するソロというのは、聴く方も緊張します。
1時間20分の演奏はあっという間でした。

マーラーの9番は『死』がテーマと言われています。

2007年の朝日カルチュアセンターでインバル氏のマーラーについての講義を聞いたことがあります。
そこでのお話、
<マーラーの曲には、すべての世界、すべての人間の感情が込められ、その交響曲は凝縮された宇宙という印象を強く持っています。
1番や4番は自然へと感情が向かい、喜びと愛とその陰に存在する不安を感じる。6番「悲劇的」や2番「復活」に人の世の厳しさとそれに立ち向かう勇気、希望の光を感じます。
9番は「死」「埋葬」の象徴。9番ほど人生に対する深い愛着と惜別の思いを表した曲を知らない。>


このような曲の解釈を何も知らずに聴いたとしても、曲から受けるメッセージは『死』で、
苦しい人生が終に終わる・・しかし死ぬことも簡単ではなくもう一つの苦しみ・・そうして最後にやっと訪れる安息・・
というイメージに深くとらわれます。
(4楽章の最終小節には「死に絶えるように」と注釈がついています。)
9番には「死の予感」が強く感じられるのですが、マーラーはこの交響曲を自ら初演することなく死を迎えます。


マーラーの交響曲というのは、聴く側の置かれている状況や精神状態によって、様々な感情が呼び起こされます。
前回のチョン・ミョンフン指揮 =東京フィルの『9番』のときは悲しみの感情に激しく揺さぶられましたが、今回の『9番』は、静かに穏やかに聴くことができました。

聴く側の精神状況の違いもありますが、指揮者がそのときに表現しようとするもの、表現方法によって、音楽はかなり違う印象になります。
マーラーの交響曲はどれも1時間以上の長さを持っていますが、聞き慣れると、残念なくらい時間は速く過ぎてしまいます。

(覚え)
エリアフ・インバル マーラを語る
http://sachat06.blog.so-net.ne.jp/2007-12-14
http://sachat06.blog.so-net.ne.jp/2007-12-16

チョン・ミョンフン=東京フィル『マーラー / 交響曲第9番ニ長調』
http://sachat06.blog.so-net.ne.jp/2008-03-11-1

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フルートレッスン(23) 〜 完全に失速 〜 [音楽]

フルートの練習、完全に失速しています。
(アンダーソンのグランドエチュード11番)

今年の2月は関東では異例の寒さで、雪にもたくさん降りいろいろと支障をきたしました。
私の地域ではたいした雪でもなかったので日常生活は問題なかったのですが、雪のため電車が動かずフルートのレッスンが中止になり、しばらくして今度は先生がインフルエンザにかかり休講になったり・・で、ガリボルディ10番は一度見てもらったきり、3週間あくことになってしまいました。

エチュードは一回でパスすることはあまりなく、二回目が大事なのですが、この二回目が諸事情でのびのびになってしまうと、もうだめです。
同じ曲ばかり練習するとだんだん嫌気がさしていい加減になってくるし、先の曲を練習してもポイントがつかめず、かえってマイナスになっているような気がします。
11番は一度見てもらって十分練習したので合格のはずが、レッスンがないため合格がもらえず、宙ぶらりんのまま来週の土曜まで持ち越しで、神経にも良くありません。

どんどんフルートが遠のいていく・・。


自分で練習すればいいだろうと思うのですが、それが難しい。
先生が「自分で練習できるようになるために、レッスンしているのだ」と仰ったことがありますが、納得です。
時間があっても、うまく音楽解釈ができないためイライラして練習に身が入らない。エチュードは、先生の一言、二言のアドヴァイスで、「あ〜、そうだったか」と、合点がいき急に吹けるようになることが多いのです。
そういう目からうろこの体験がレッスンの面白さ、有意義さでしょう。

一々教わらなくても自分である程度練習できるようになるにはまだまだ相当かかりそうです。


ところで、10番の練習というのは「高音域の音をヴィブラートをかけてすんなり出す」ためにはとてもいい練習曲のようです。
10番の練習をしていて、たまに「アルルの女」を吹いたりすると、最初のフレーズ(2小節目)のソの音などなんでもなく出てしまいます。10番の最高音はソ♯でしかも指使いは速い・・なので簡単なわけです。

やっぱりエチュードはすごい。
エチュードを積み上げていくことで、どんな曲も演奏できるような気がしています。

それにしても寒い2月でした。寒さにだんだん疲れてきました。
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クラウディオ・アバドについて [音楽]

またしても偉大な巨匠の訃報。
世界的に有名な指揮者であるクラウディオ・アバドが、2014年1月20日に亡くなりました。(享年80歳)

私がクラシック音楽(交響曲)愛好家になったきっかけは、クラウディオ・アバドが設立したグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団の演奏を聴いたときからで、それ以来アバドの存在は常に特別なものだったように思います。



2004年4月21日(サントリーホール)
指揮者 ピエール・ブーレーズ
グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
演目  マーラー6番

このときのG.M.U.O.(グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ)の演奏は忘れられません。
G.M.U.O.のメンバーは、世界各地から集められた若き俊英たちです!(年令は26歳以下と決まっています)
マーラーの交響曲は100人を越える大編成で、ずらりと並んだ楽団員のそれぞれからほとばしる情熱、全員が前に乗り出すようにして、巨匠ピエール・ブーレーズの指揮に集中して創りあげていく、密度の高い音楽、その音その姿が、心に焼き付いています。
フルーティストの中にはシエナのキジアーナ音楽院での公開レッスンで見かけたビルギットがいました。(レッスンで、抜群の実力を持っていた人でした。)


実際にクラウディオ・アバドのコンサートを聴きに行ったのは2回だけでした。


初めて、アバドの演奏会を聴いたのは、2004年8月22日、
スイスの『ルツェルン音楽祭』でのこと。
鮮烈な印象を受けました。

このときは、マーラー・チェンバー・オーケストラで、
演目は、ヒンデミットとベートーヴェン交響曲1番

IMGP0305.jpgルツェルン音楽祭

アバドの人気は絶大で、演奏後、2階のバルコニー席にいた着飾ったご婦人方から、たくさんの花がステージ上のアバドに投げられて、それはもうとても華やかでした。
さすがにヨーロッパはクラシックの本場、アバドは文字通り『アイドル』なのだなと、強く感じました。アバドのにこやかな笑顔も印象的でした。

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音楽祭のあと、ホールを出るとこんな風景が・・。


二度目にアバドの演奏を聴いたのは2007年、ロンドンの『プロムス』で。
(ロイヤル・アルバート・ホールにて)
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オーケストラはルツェルン祝祭管弦楽団
演目はマーラー交響曲3番

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真ん中にアバドがいます。

ロイヤルアルバートホールはステージ前のフロアが立ち見席、最上階にも椅子なしの立ち見席があり、開場前には、立ち見席の当日券を買うための行列ができていました。(これはちょっと並べば簡単にチケットが手に入れそうです。)
しかも、席は一階のステージの真ん前のフロア!
すごい席ですが、マーラーをじっと立ったままで聴くというのは、どう考えても私には体力的に不可能に思えます。(日本人はよほど体力がないのでしょうか。)
最上階の方の席は手すりの間からの見物になりますが、床に座り込んでも(寝ころんでも?)大丈夫なようで、気に入りました。

プロムスのチケットは一番安い席だと、地下鉄代と同じくらいで、日本だとウン万円もするのに・・と思ってため息が出ました。文化なのですねえ。

アバドは、このG.M.U.O.のOBでマーラー・チェンバー・オーケストラを設立。

さらに、ルツェルン音楽祭のために、マーラー・チェンバー・オーケストラを中心にベルリンフィルなど他のオーケストラのメンバーに呼びかけ、ルツェルン祝祭管弦楽団を設立しました。

また、あの偉大なピアニスト、マルタ・アルゲリッチとの協演で、歴史に残る名演奏を残しました。

とにかく大巨匠でした。
たった2回でもクラウディア・アバドのコンサートを聴けたことは幸運だった、と今にして思います。時間(人生の)というのは本当に限られています。ぼやぼやしていられないのです。

<略歴>
1933年、イタリアのミラノ、音楽一家に生まれる。
ミラノ音楽院(ウ”エルディ音学院)、ウィーン音楽院で指揮を学ぶ。
1959年、指揮者としてデビュー、カラヤンに注目されザルツブルグ音楽祭にデビュー。
1968年、ミラノスカラ座指揮者、72年に音楽監督、77年に芸術監督、スカラ・フィルハーモニー管弦楽団を設立
1979年、ロンドン交響楽団首席指揮、音楽監督
1986年、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団設立
1990年ベルリンフィル首席指揮者、芸術監督
1997年、マーラー・チェンバー・オーケストラ設立
2003年、ルツェルン祝祭管弦楽団の設立に寄与、首席指揮者、芸術監督

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フルートレッスン(22)  〜楽器の話〜 [音楽]

フルートの頭部管の中のコルクは泣きどころで、
ある日突然音が出にくくなる。
でも、はっきりわかるほど出にくくなるわけではなく、
ただ何となく吹いているうち疲れやすくなってきて、何日かすると、練習が楽しくなくなってくる・・こういうときは、コルクがダメになっているときだということがようやくわかってきた。

先生に見てもらうと、「あ、これはコルクがダメだ」と診断され、コルク交換となる。
先生は一月に2回もコルク交換するときもるそうだ。
コルクには品質が良いのと良くないのがあって、一週間ほど使ってみて「あ、これはだめ」とわかる場合が多いらしい。
密度がある物が良いのだが、外目にわからないのが難点で使ってみるしかない。

フルートには湿度50%前後が理想的な状態で、冬は乾燥が困った問題となる。
先生はフルートを保管するときはコップ一杯の水と一緒に金庫に入れているそうだ。

楽器に対する先生の研究熱心は尽きることがなく、
レッスンに行く度に弟子の楽器の調子を確かめ音を吟味している。

この間、ソノリテ練習で低音はいつもよりスムーズだったけれど、高音域がなぜか苦しい(ヘインズは高音に強いのに)。
吹き終わって「高音が出にくかったです」と言うと、「それでよろしい。その位の抵抗があるのがいい。」「最近の楽器は全部の音が簡単に出るように作られている。だからまったくつまらない音になってしまう。」だそうだ。

この辺りの話はまだ私にはよくわからない部分もある。
倍音が少ないと「暗い音」、多いと「明るい音」というのも、なんとなくわかりそうでまだわからない。
先生が求める音は、明るくて響きがある音だが、きれいな音しか出ない楽器も、表現の幅が狭くなるためダメなのだそうだ。ザラッとした音色も出ないと・・。

ところで、あのエマニュエル・パユが楽器を新調したという話が音楽情報雑誌「ぶらあぼ」(2014年1月号)に載っていた。
ヘインズの14金製フルート。

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雑誌の中のパユの話を引用すると、

「1960年代にジャン=ピエール・ランパルも同型を使っていた名器で、”エレガント”の一言につきます。技術的な負担が大きく軽減されて、音楽により専念できる。古い車から最先端のハイブリッドカーに乗り換えたように幸せな吹き心地です(笑)」

いつも最先端のハイブリッドカーに乗っているような演奏をするパユが、そんなことを言うのは、どういう意味だろう?と不思議な感じ。

ヘインズ派の私としてはぜひぜひ、ヘインズを吹くパユの演奏を聴きたいと思っています。



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マクサンス・ラリュー フルートリサイタル [音楽]

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2013年11月26日(火) 津田ホールにて

マクサンス・ラリュー(フルート)/ 長尾洋史(ピアノ)

<program>

シューベルト;ソナチネニ長調
ゴーベール;ノクターンとアレグロ・スケルツァンド
フォーレ;ファンタジー
デュティーユ;ソナチネ

 ー 休憩 ー

モーツァルト;アンダンテ ハ長調
モーツァルト;ロンド ニ長調
ラヴェル;ハバネラ形式の小品
ドビュッシー;小舟にて
イベール;フルートソロのための小品
プーランク;ソナタ

(アンコール)

ビゼー;カルメン間奏曲
ドビュッシー:シリンクス
グルッグ:精霊の踊り


私にとって、今年のベストコンサートでした。
マクサンス・ラリュー氏(79歳)圧巻のコンサート。まさに希望の星!
一年間の療養生活を経てのコンサートだそうですが、6年前とまったく変わらず、堂々とした立派な身体が奏でる、繊細で妖精が舞っているような自然で美しい音。

津田ホールは満員御礼で、席が足りなくなり急遽ステージ上に椅子が並べられました。
年配の人もいましたが、若い人達が目立ちました。なぜかフルートのバッグをぶら下げている人が多く、熱気がこもっていました。
ラリュー氏健在、というだけでも感動でしたが、やはり音楽そのものに感動しました。
プログラムのすべてが素晴らしく(って、他に言いようもないので)、アンコール曲も涙が出るほど素晴らしく、おまけに、プログラム変更でモーツァルトのアンダンテも聴けて。

これまでの私のやっかいなフルート練習は、ラリューさんのすごさを知るためだったんだなーと、しみじみ思いました。
今回の来日では、大阪、名古屋、東京、と三回の演奏会、そしてCDの録音までされたということで、ラリュー氏のパワーには本当に感銘を受けました。
CDは4月に販売されるそうです。もちろん、予約してきました!

今年一年間の最後に、心温まるプレゼントをもらったような、そんなコンサートでした。




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フルート発表会〜モーツアルトのアンダンテ [音楽]

さて、モーツアルトのアンダンテを発表会で演奏することになり、練習に取りかかったら、やはり難しい・・。易しくて難しい。
シンプルな曲なので、かえって「とっかかり」が見つからない。

先生曰く、「モーツアルトのアンダンテはハ長調。ハ長調というのはもっとも明るく澄んだ音で、色でいうなら『白』だ」

明るくおだやかで、ドラマチックなところはなく、あっさりした曲、なのである。確かに「白色だな〜」と思う。
「白色」なので、何をどう表現したらいいかわからない。風景が見えてこない。

それで、当たり前のことだけれど「音符の一つ一つを大事に演奏すること」と、自分なりに目標をたてた。
こういう意識で吹いたことはなかったので、この練習は思わぬ楽しさがあり、はじめて「演奏に集中する」ことができた。
それまで、「集中する」ことができなかったのは、一つの音符を大きな流れの中の一石としか考えていなかったためだとわかった。
実際には大きな流れの中の一つの音にはちがいないのだが、全体の流れをつくるのは一つ一つの音であって、それは他の音には置き換えられない大事な音だと気が付いた。(今までいかにきちんと曲と向き合って来なかったか、ということです。)

一つの音の強さ、長さ、響き、前の音と次の音へのつながり、ニュアンスが課題になることが、アンダンテの練習でわかった。今さら・・ですが。
そうなると、演奏するためには全神経を使うことになり、演奏中に他のことが頭に浮かぶことはまったくなくなりました。
以前は、演奏中に「そろそろコーヒーを飲みたいな〜」とか「夕飯は何にしようか」とか、明日の予定だとか、とりとめのないことがしょっちゅう頭に浮かんできて、先生に「演奏中に何を考えていますか」と聞いたことがあるほど。
「自分が出す音と他の演奏者が出す音。」と、当たり前のそっけない答え。

ともかく「白色」のアンダンテの練習のおかげで、やっと練習とはこういうことか、とわかったような気がしました。
モーツアルトのアンダンテは、1992年にムラマツが出したヴィデオ(DVD)『フルート・マスタークラス』という虎の巻があります。(講師;吉田雅夫  フルート; ピアノ;島崎佐智代)

吉田先生の話はモーツアルトの時代の演奏についての細部な事柄に及ぶので、その辺のレクチュアーは最初はとばして、小泉先生の演奏だけ聞いて練習していたけれど、そのうち、この音はどうするのだろうと、いろいろと試している間に、結局、吉田先生の講義のすみずみまで勉強することになってしまいました。

おかげで、全音的半音階と半音的半音階の区別、イ音について、男性終止と女性終止、トリルのつけ方、アンダンテとはテンポだけを示すのではなく音楽的性格を現す、悪魔の音と言われた三全音、ヘキシコード・・などなど、がわかってきました。

吉田先生が「モーツアルトをやるならまず、このアンダンテをやれと師に言われた、なぜかというと簡単な曲の中にモーツアルトを理解するための全てが入っているから」と仰っていますが、
なるほど、私の楽譜にも、ほとんどすべての章節にいろいろと書き込みが入りました。
ブレスのことをこんなに意識したのも始めてだした。練習曲のときはあまり意識していなかったけれど、ブレス記号も音符と同等の細心の注意が必要でした。


一番の問題は音質、音の響き・・これは付け焼き刃ではどうにもなりません。だからレッスンでソノリテ練習の時間があんなに長かったのだ、と今さらわかっても遅い・・。
それを今までおろそかにしてきたので、急に、良い音は出ない。時々はきれいな音をつくることはできるが、全ての音にヴィブラートをかけ響かせるのは非常に難しい。

9月のある日、いつものようにエチュードをやったあと、「アンダンテやってごらん」と言われ、一度ざっと吹いておおまかなチェックが入りました。

それからもレッスンはいつも通りにエチュードの練習だけ。

10月に一回、ピアノ併せ

さすがにこのときのレッスンはエチュードはやらずアンダンテだけで、まず私が吹き、チェックが入り、先生が演奏してみせてくれ、次にまた私が吹いてこの日は終わり。

11月10日リハーサル

その後のレッスンもアンダンテではなくエチュードの練習のみ。

11月23日が本番。あっさりしたもの。

先生の前で吹いたのはリハーサル含めて3〜4回で本番になりました。
発表会というのは日頃の練習成果を発表するだけで、練習曲の練習の方が優先で、発表曲は各自やっておく宿題にすぎない、ということでしょう。

さて、本番の結果は・・
4カ所くらいミスがあり、がっかりでした。リハーサルではミスはなく、もっとうまくいくと思ったのだけれど・・。

あとで録音CDを聞いてみると、音はまあまあ私としてはよく鳴っている。けれどミスがあってはどうしようもない。
吉田先生の教本に「楽譜は絶対に間違えてはいけません」と当たり前のことが書かれている。
確かに、間違えたら絶対にダメなのだ。瑕があっては音楽にならない。それが身にしみて感じられた発表会でした。

発表会は失敗だったけれど、アンダンテの練習効果はかなりあって、集中の仕方がわかったので、今練習しているガリボリディは毎週一曲合格のペースで順調に進んでいます。

先生にも「いい音出るようになった。フルートしているね。」と一度だけほめられ、やっとフルートの演奏とはどういうものかが分かり始め、練習が楽しくなってきました。
練習が楽しくなるまでに3、4年もかかるとは・・。「石の上にも3年」です・・。

2013年のレッスンは、ガリボルディのグランドエチュードのNO.8まで終了して終わりました。

追記;
モーツアルトがアンダンテを作曲したのは1778年で、フルートという楽器も今とはおそろしく異なり、出せる音も限られている。
(フルートに限らず、すべての楽器が今日のものとはちがい、不自由さがあったはず。)
その時代に、200年以上たった今でも、もっとも美しいとされる数々の音楽が作曲されたというのがとても不思議な感じです。

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ウィーンで聴いたモーツアルトのアンダンテ [音楽]

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アンダンテを教えるヴェルナー・トリップ氏

ウィーンの響きとも言えるフルート奏者、ウェルナー・トリップ氏が亡くなってちょうど10年になる。

トリップ氏が亡くなったのは2003年12月15日で、その4ヶ月前の8月、私は幸運にもウィーンでトリップ氏の演奏を聴くチャンスに恵まれた。
ウィーン音楽院での夏のフルートセミナーで、トリップ先生のレッスンを見学し、その夜、ピアノメーカーとして有名なべーゼンドルファーのホールで、教授陣によるコンサートがあり、トリップ先生のプーランクのソナタを聴いた。

思えばいろいろ不思議な巡り合わせで、こんなことができた。
フルートセミナーは公開レッスンではなかったけれど、せっかくのウィーンに来たのだから見学したいと思い、
フルートセミナーの案内に載っていた電話番号に電話をし、聴講させてもらえないか聞いてみたら、翌日にべーゼンドルファーのホールで教授陣によるコンサートがあるからそこで直接トリップ氏に聞いてみたら、という返事だった。
コンサートのチケットはどこで手に入るかと尋ねると、無料だと言われてビックリ!

翌日、夜まで待たずに、とりあえずべーゼンドルファーの会社に行き、セミナー聴講についてどこに尋ねればいいか聞くと、次々とオフィスを回されて、最後に立派なデスクの前に座っている恰幅のいい老紳士の部屋へたどり着いた。

私の話を聞くと、すぐにどこかに電話して「OKだ。トリップ先生が今来てよいと言っている」と言われ、急いでタクシーでウィーン音楽院に行った。

夏休み中のウィーン音楽院はガランとしていて、ピアノやヴァイオリンの音がかすかに聞こえるだけで、どこがトリップ先生のいる部屋かわからない。
ウロウロしていたら偶然近くの扉が開きフルートの音が響いていたので、覗いたら、トリップ先生がにこにこして、「ああ来たか、どうぞ」と部屋に入れてくれた。
そして私が手に持っていた文庫本『ウィーン・フィルの音と響きの秘密/中野雄著』に目をやり、「ああ、彼もこれから来るよ。」と気楽におっしゃった。

何のことかわからずに、ともかく部屋に入って、レッスンを見学させてもらた。
そのときに受講生が練習していたのが『モーツアルトのアンダンテ』。
わざわざ日本から練習に来る人がいるんだな〜と感心したが、その頃はフルートを本格的に勉強していたわけではなかったので、そのときの指導がどうだったのか、は残念ながら覚えていない・・。

アンダンテはとても易しい曲なのに、一小節ごとに、「そこはそうではない。こうだ。」と一つ一つ丁寧に直し演奏して見せていらっしゃったことだけ印象に残っている。

しばらくして一人の婦人(トリップ先生の奥さんだった)と日本人の男性が部屋に入ってきたが、この方が私が持っていた『ウィーン・フィル音と響きの秘密』の著者の中野雄氏だった。

このときの偶然は、思えばとても不思議なことで、幸運の女神が微笑んでくれた、としか言いようがない。一生に一度はこういうこともあるのだろう。
その頃ちゃんとレッスンを受けていなかったことが悔やまれる。せっかくのアンダンテのレッスンも「猫に小判」に近かった。


レッスンが終わり、トリップ氏とウィーン音楽院の庭を歩いた。
「今日はこれからコンサートの準備があるから付き合えないけれど、美味しいレストランを案内しよう」と言うので、その時の受講生の方たち、中野さんと通訳の人と一緒にレストランまで行った。
このとき食べたのは <きのこのシュニッツェル風?
 Kartoffel Schwammeristrudel mit Krautersauce>で、それがあまりに美味しかったので翌日も食べに行ったほど。残念ながら日替わりメニューなので食べることはできなかったけれど。

夜のべーゼンドルファーのホールでのコンサートで聴いたトリップ氏の「プーランクのソナタ」はそれまでにCDやリサイタルで聴いた音楽とはとても違っていて、重々しく、こういう表現をするのか、と感嘆したのだった。


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ウイーン音楽院

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